運命を変えた白馬の絶景
1989年(平成元年)
宮崎県延岡市で生まれ、転勤族の父親に伴い九州を転々とした幼少期。青春時代は大阪で過ごし、高校卒業後は名古屋の専門学校へ進学し、三重県名張市のスポーツ用品店で働いていました。
昭和から平成へと時代が変わる直前の正月、バレーボールチームの常連客に男やったらスキーくらい滑れるようにならんとあかんぞ!」と言われ、半ば強引に白馬村へ連れて行かれることに。
1月2日、白馬岩岳スキー場のゴンドラに乗り、山頂に出た瞬間——360度パノラマに広がる北アルプスの絶景が目の前に広がりました。
「ここに住むしかない!」
まるで神の啓示を受けたような衝撃で、帰宅後すぐにスポーツ店を退職し、2ヶ月後の3月には白馬に移住。現在もホームゲレンデの白馬岩岳スキー場でのアルバイト生活が始まりました。
冬が終わってからも白馬に残りたいと思い、お隣の八方尾根スキー場のレストハウスでゴールデンウィークまで働くことになりました。

新しいスポーツとの運命的出会い

1991年(平成3年)
パラグライダーインストラクターとして8年間活動していた頃、会社の社長に偶然録画していたテレビ番組を見せる機会がありました。
それは、今やスノーボード界のレジェンドである竹内正則さんが、女性レポーター2人にスノーボードを教えるという内容でした。
スノーボード初心者の彼女たちはなかなか立てず、うまく滑れません。その様子を見ながら「こんなの簡単そうなのに」と思っていました。
するとそのビデオを見た社長が、「よし、やってみるか」と言って、なんとスノーボードを2本購入してくれたのです。そして、それが私のスノーボード人生のスタートとなりました。
もちろん、最初はうまく滑れませんでした。あのレポーターたちの気持ちが痛いほどわかるようになり、悔しさが募る日々。それでも気づけば、そのスポーツに夢中になっていました。
プロへの道と天狗になった時代
1994年〜2004年
スノーボードを始めて4年後、「全日本スノーボード技術選手権大会」および「JSBAデモンストレーター選考会」で、思いがけず1位を獲得。JSBA初代公認デモンストレーターに認定されました。
スノーボードブームが全国で加速し、専門誌は10誌近くも存在する時代。私のハウツーやトレーニング法は次々と雑誌、ビデオ、DVDとして取り上げられました。
スポンサー契約が増え、用具の提供や契約金、メディア出演のギャラなどにより、生活も一変。「提供されて当たり前」「応援されて当たり前」「もっと評価されるべき」と見事に天狗になって、自分を見失っていました。
人は立場が変わると、勘違いしてしまうものです。私もまた、突然手に入れた称号、そして人気のせいで勘違いした自分がいたのかもしれません。

挫折が教えてくれた真のリーダーシップ

転機の瞬間
アドベンチャーパーク運営で経営者になった私は、「お前らのために、必死で道を作ってきたんだぞ!」と言いながらも、社員・アルバイトのほぼ全員に辞められるという大きな挫折を経験しました。
心の病に陥った私に届いたのは、心理カウンセラー講座のリマインドメールでした。その講座で講師が語った一言:
「人のためって書いて、なんて読むか知ってる?」
頭に思い描いたのは、「偽」という漢字でした。「人のため」と言いながら、それは”偽り”だったのではないか?本心では「さすが茶原はやるね」と思われたい自分がいたことに気づきました。
そこから心理カウンセラーの道を歩み始め、凝り固まった自分の考え方、無自覚のバイアス、「世界や出来事を私自身の都合よいレンズで見ていた」という事実に気づいていきます。
印象的な出来事がありました。辞めると宣言した社員たちに、最後の数人にだけ、講座で学んだ「聴く」を実践しました。すると驚いたことに、彼はしゃべりながら自分の本心に気づき、自らの意思で「残る」と決断したのです。
新しい価値を生み出す研修事業へ
現在に至る
そこから少しずつ、私のリーダーシップスタイルは変わっていきました。以前は「社長! 飯行きましょう」とは絶対に言われなかったのに、今では「社長、そろそろ焼肉っすかね!」と誘われるようになりました。
かつて私は、部下や他人に知らない・できない・わからないを口にできないリーダーでした。でも今は違います。
「素晴らしいリーダーは、強みで尊敬され、弱みで愛される。」
この言葉を胸に、人の力を借りながら、共に進んでいけるリーダーでありたいと願っています。
そして、私が提供したい体験は、「教える」のではなく「気づきを得ていただく」時間。それは、他者からではなく、自分自身の中にすでにある”答え”を掘り起こすような時間です。
私のマインドセットを変えた大きな体験
- アスリートとしての成功体験(絶頂)
- 経営者としての強烈な失敗体験(どん底)
- 人間としての自己変容体験(再生)
これらの体験が、今の私の信念とファシリテーションの軸をつくっています。

沿革
| 1989年 | 白馬移住・スキーとの出会い 白馬岩岳山頂ロッジでアルバイト開始。春からパラグライダースクールに所属。 |
| 1991年 | スノーボードスクール発足 西山ゲレンデで一部滑走可能に。スキー場に全山解放に向けての企画・提案、環境整備をはじめる。 |
| 1994年 | JSBA初代公認デモンストレーター認定 全日本スノーボード協定のモデルとなる。岩岳8コースがスノーボード開放。JSBA公認校に認定される。 |
| 1998年 | 長野オリンピック開幕 茶原忠督デモ認定(第3期)、遠藤真里さんデモ認定(第3期)。スノーボードへの注目が高まる。 |
| 2002年 | ソルトレイクオリンピック開催 スクールから橋本通代さんが日本代表として出場(12位)、US OPEN 14位の成績。 |
| 2004年 | 全日本テクニカル選手権学校対抗部門4年連続優勝 林大輔さん全日本選手権準優勝プロ昇格。桑島瑠美さん全日本スノーボード選手権大会SX優勝プロ昇格。DVD「岩岳流」リリース品切れ続出。 |
| 2005年 | 有限会社ソウルメイト設立 個人事業主から法人化。飛騨流葉スキー場にて「茶原忠督プロスノーボーディングスクール」開校。同スキー場のイメージライダーとして契約。 |
| 2006年 | 競技生活引退 佐久スキーガーデンパラダにて「La Chabaスノーボードスクール」開校。堤理香さんテクニカル選手権2位デモ初認定。 |
| 2007年 | アドベンチャー事業開始 白馬EXアドベンチャー運営業務を受託。体験型プログラムの事業化。 |
| 2009年 | 神戸スカイアドベンチャー(後に天空×大冒険ソラカケルに 2025年閉場) 関西エリアでのアドベンチャー事業展開。 |
| 2012年 | アドベンチャーパークの通年営業開始 季節を問わない体験プログラムの提供体制を確立。 |
| 2015年 | 移動型モバイルアドベンチャー「MEGA DICE」開発・運営開始 場所を選ばない体験プログラムの開発。 |
| 2019年 | 天空×大冒険ソラカケル 名称変更により新たなブランディング。 |
| 2020年 | 国内最大級のアドベンチャーパーク企画・設計・建設 大阪府泉南市に国内最大級のアドベンチャーパークを企画・設計・建設。 |
| 2022年 | 株式会社ソウルメイトに改組 有限会社から株式会社へ組織変更。研修事業を本格化。 |
| 2025年〜 | 「天空×大冒険ソラカケル」16年の歴史に幕を閉じ、研修事業を核とした新たなステージへ。創立から20年以上の実績を活かした価値創造を続けている。 |